山あり谷あり。ウガンダへ来るまでのでこぼこみち〜アフリカに辿り着いた理由とは〜

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Oil Otya!(オリオチャ) こんにちは!東アフリカの国、ウガンダの松田薫です。

先月ウガンダでは大統領選が無事に終わりました。これからも現大統領であるムセベニさんの政権が続くみたいですね。
今回は、なぜ私がウガンダに来ることになったのか、そのストーリーをお話していこうと思います。

遠い国での出来事

私が小学生の頃、遊んで夕方に家に帰ると
いつも祖父がテレビをつけてニュースを見ていました。

私も一緒になってニュースを見ていると
砲弾が撃ち込まれるビル
やせ細った赤ちゃんを抱えている黒人のお母さん
大怪我を負った子どもの様子が映し出されていました。

それを見て私は
「遠い国では大変なことが起きてるんだー。かわいそうだな~」と
自分自身と関係のない遠い国で起きていることだと思いながら
「お腹すいたー!お母さん、ごはんまだ~?」
なんて、のんきに言っていた記憶があります。

戦争、貧困
この時から少し興味はありました。
しかし、自分がその人たちのために何ができるのかわからなかったし、私はそんなにいい子じゃなかったので、そのような事に興味があるなんて恥ずかしくて言えませんでした。
そして中学校、高校時代はひたすら部活動に明け暮れ…
高校3年生の大学受験の時
気が付いたら、行きたかった大学すべてに落ちていました。

唯一受かった大学とフィリピンでの出会い

高校の先生に勧められ、3月入試を受けた大学に無事合格しました。

そして、入学してすぐの頃。
「この大学を通じて、フィリピンでボランティアができる」
という話を同じ学科の先輩から聞きました。

その時、小学生の頃に見ていたテレビの映像を思い出しました。

そして、昔抱いていたぼやっとした感情が
「途上国でボランティアをしたい!」
「自分の目で途上国をみたい!」
と具体的な目標に変わりました。

頭で考えるよりも、先に体が動いてしまうので
話を聞いた後すぐに、そのボランティアを担当している先生の部屋へ向かいました。

しかし、ドアを目の前にして、突然緊張してきました。
「まだ大学に入って1.2か月しか経っていないし、もうちょっと学生生活に慣れてから話を聞いたほうがいいんじゃないか」
「相手の先生は大学の理事長(当時)だけど、どんな人なんだろうか」
「ボランティアなんてしたことないけど、一体自分に何ができるのだろうか」
「自分の気持ちをどう話したら、先生に自分の気持ちが伝わるだろうか」
色々な不安が頭をよぎり、立ち止まりました。

でも、あの時
勇気をふり絞り部屋のドアをノックしたから、今の私があるとも言えます。

その3,4か月後
私はスラム街にある幼稚園へボランティアをしに、フィリピンにいました。

ボランティアを行ったマニラ・カインギンにあるカトリック教会の運営している幼稚園
ボランティアを行ったマニラ・カインギンにあるカトリック教会の運営している幼稚園

勉強ができる環境を無駄にしていた自分に大反省。就学できない子どもたちのために何かしてあげたいと思うようになりました。

大学2年生。前年にフィリピンで出会った東ティモールの教会関係者を訪問しに、東ティモールへ。現地の人と密着して働いている教会関係者、NGO関係者との出会いで、国際支援の道に興味を持ちました。

大学3年生。 フィリピンで出会った大学の先輩に勧められ、マラウイへフィールドワークに行く授業を取る。マラウイで青年海外協力隊の人たちと出会い、協力隊に応募しようと決意しました。

初めてホームステイをさせてもらったマラウイ・ルンピに住んでいる私の家族たち。
初めてホームステイをさせてもらったマラウイ・ルンピに住んでいる私の家族たち。

大学に入りたてのあの時、
部屋のドアをノックせず、部屋の前から立ち去っていたら、私は今ウガンダに来ていないかもしれません。
「普通」の生き方ってなに?

大学4年生になり、黒髪、スーツ、就活メイクで登校する友人が増える中、
私は一切就職活動をしていませんでした。今考えると恐ろしいですが、協力隊一本だったのです。

ある日、そんな私を見ていた母親から
「大学を卒業して、新卒で社会で働いて、普通の生き方をしなさい!」
と言われました。

普通の生き方ってなに?

多くの新卒の人と同じように、
卒業後には会社で働いて、その2,3年後くらいには結婚して…
と、母親はそんな娘の将来像を描いていたのかもしれません。

正直な話
私自身、自分の将来がどうなるのかは、全く予想がつきません。

協力隊に応募した時、2年間の活動の中で
将来、国際協力の分野で本当に生きていきたいのかどうかを確かめたい。
という思いもありました。

「早いうちに海外に出て、いろんな経験を積みなさい。」

国際協力に関わる人たちと出会う中で、多くの人から言われました。
現地の人と一緒に仕事をして
その道に関わる人たちと出会って
自分が向いているのかどうか、残り1年半以上の任期の中で
じっくり答えを出そうと思っています。

JICAで行われたお米研修。一緒に活動してる米農家さんと参加。
JICAで行われたお米研修。一緒に活動してる米農家さんと参加。

長くなりましたが、以上が私のウガンダに来ることになったストーリーです。
まだ、20年ちょっとしか生きていないので、偉そうなことは言えません。

でも、一つだけ言えるのは
何かの転機にはタイミングがあって
それを掴めるのも、人との出会いと自分の行動次第なのではないかと思います。

次回からは、ウガンダの様子をたっぷりとお伝えしていきます!

Kaoru Matsuda


原文元:山あり谷あり。ウガンダへ来るまでのでこぼこみち|WWJ.world

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