コレなしにボツワナは語れない、今回は貧困問題について書こうと思います。

私の配属は首都の国立博物館でこの問題とはちょっと遠いところにいます。
ここでは地方隊員、特に貧困撲滅プロジェクトに関連してきた隊員から聞いた話、
任地に実際に行ったときに聞いた話や
自分のまわりでおきていることをもとに書いています。

ボツワナという国

今までの記事で書いてきましたが、 ダイヤモンドで大儲けし、国のトップが賢かったおかげで
収益は全て公共福祉あてられ、内外ともに紛争なく、ハイパーインフレも起こさず、
フードバスケットという食事が与えれるので失業しても飢える事無い国です。

これだけ聞くと「え、何その国? ユートピア?!」みたいに聞こえるかもしれません。

でも公共福祉が充実しているということは裏をかえせば、政府がほとんどのお金をにぎっているということです。
収入格差は世界トップクラス、ジニ係数(社会における所得分配の不平等さを測る指標)ランキングは世界3位(参照)。

ボツワナの貧困層はフードバスケットなる制度があり、収入がなくても餓死はしません。
仕事がなくて村から出ることも難しいけど、働かなくても政府が食料くれるので餓死はしない。
そうなると人間どうなるか。 昼間からお酒飲んでぼんやりしていることになります。

重要なのは、この「働かなくても生きれる」というのが本当に意味するところは何なのか?です。

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首都ハボロネのビル。もうかりすぎて有り余ったお金でビルをたてる億万長者もいるんだとか・・・

 

一方で、地方の村。電気なし、水道なし。
一方で、地方の村。電気なし、水道なし。

与えることに喜びを感じる人々

ボツワナ人は困っている人を見過ごせない人たちです。
路上でのヒッチハイクも多く、公共の交通機関がなくても、誰かがか車にのせてくれます。

配属先ではよく、ドネーションの依頼がまわってきます。
「以前働いていた人が病気になってしまい、お金に困っているからみんなで食料やお金などを集めて救おう」という類いのものや
「学校で子供達がたちあげたプロジェクトの運営資金を集めている」、
「孤児の子供達におもちゃや絵本を寄付してほしい」などです。

よくボツワナ人は「ケコパマーディー(お金ちょうだい)」って言ってきますが これは海外からの支援慣れというより、
お金のある人がお金の無い人に分け与えるのは当然であるという考えがそもそもにある気がします。

道徳的に悪い感じはしないんですが、ボツワナにとってコレはガンかもしれません。

以前、「貧しい女の子のために生理用品をかってあげたい」というドネーション依頼が回ってきたときに
“毎月、これを集めるのか?一生あなたが彼女達の面倒をみるつもりか?
できないのであれば、繰り返し使える布ナプキンとその衛生的な利用方法の考案、
彼女らが自立できる方法を教える方向で検討した方が良いではないか?” というダメだしをしてみました。

布ナプキンの提案とその生成的な利用方法、
自力で制作できない場合は材料費と手芸の講師を用意する旨提案をした結果、
そのドネーションを中心になって集めていた約5名の女性職員のうち、食いついたのは1人のみ。
あとの女性については目が点になっていました。

まあ、彼女らの願いは「お金いっぱい集めてあげたい」であって、
「貧しい子に自立してほしい」わけではないので、これは想定内。
依頼はあくまで「寄付」なので、違うこたえはいらないわけですよ。
食いついた一人みたいな人が集まったら、違う結果が出るかもしれないですけどね。
とりあえず地道に「私たちボランティアのあり方」は説明していって賛同する人を増やさないことにはどうにもならないです。

協力活動で、「ただものを与える」という行為は一番やってはいけないことなんです。

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Hiromi Ame
グラフィックデザイナー。東京の広告制作会社2社に合計約8年の勤務を経て、2014年7月より青年海外協力隊で南部アフリカのボツワナに派遣、国立博物館の制作部にデザイナーとして配属されています。アフリカにいながらカンボジア(東南アジア)のNGO団体の広報活動の仕事もしていたりします。他国ボランティアからデザインの仕事も引き受けていますので、お気軽に連絡ください。