いきなり虐殺の話に
9月13日(火)のお昼過ぎ、4名の学生さんたちがムシャセクターに到着。そこからホームステイ先に全員で挨拶に伺いました
2軒目のお宅で迎えてくれたのは、お母さんのフェザと21歳のお兄ちゃんジャンビエ。この村では英語が話せる人が少なく、フェザもそのひとりですが、ジャンビエが我々の間に入って通訳をしてくれました(若者は英語教育を受けて話せる人が多い)
「名前はなに?」「歳はいくつ?」「どんなところに住んでるの?」「ルワンダと日本の違いはなに?」などなど、当たり障りのない会話が一段落したところで、急にジャンビエがこんなことを言い出しました
「ジェノサイド(※)について聞きたいことはない?」
※1994年に発生。犠牲者数は50〜100万人(国民の10〜20%)と推測される (参考:Wikipedia)
これにはドキッとしました。ルワンダでジェノサイドについて語ることはタブーとされているからです
しかし、S.A.L.のみんなにとっても、ぼくにとっても、知りたくてもなかなか知る機会のない問題です。せっかくなので、それぞれ疑問に思っていたことを聞いてみることに
当事者の語るルワンダ虐殺
まず、衝撃的だったのがホストマザーであるフェザの旦那さんもジェノサイドで殺されていたということ
ジェノサイドによって沢山の人が亡くなったことは事実として知っていましたが、こうやって顔も名前も知っているご近所さんから聞く話には、とてつもない手触り感がありました
いつも笑顔で元気なお母さんが、涙を流しながら話していたのがとてもショックでした
「ジェノサイドが起こってまだ22年しか経っていないけど、なぜルワンダはここまで復興できたの?」
「ジェノサイド直後の生活はとても厳しかったけど、カガメ大統領が以前の政権を倒して良い方向に導いてくれたおかげだよ。だから彼にはとても感謝してる」
独裁者と批判されることもあるカガメ大統領ですが、やはり国民からの信頼は絶大ですね
「お母さんは旦那さんを殺されたことをいまどう思ってるの?」
「忘れられないけど、許すわ」
「毎年4月にはセレモニーをやってるけど、そういうのを見て辛くならない?」
「セレモニーには出ないこともあるの」
ぼくもこの4月に行われた追悼式に出席しましたが、号泣して叫んだりパニックを起こしてしまう人もいるほどでした。フェザにとっても、まだ式に出席するのは簡単なことではないようです
「許す」という言葉は、他のルワンダ人からも何度か聞いたことがあります。肉親を殺されたことを「許す」という行為に、どれほどの痛みが伴うかはぼくには計り知れません
ただ、これが単なる殺人ではなく「ジェノサイド」という国家的な問題で、民族対立をはじめとして様々な要因が絡んでいたからこそ、特定の誰かを恨むわけにもいかないのかなと、ぼくは思っています
この話の最後に、息子のジャンビエが言っていたことが印象的でした
「ぼくらはこのジェノサイドのことを決して忘れてはならないんだ。ぼくらの世代(当時生まれていなかった世代)も次の世代に語り継いでいかなきゃいけないと思ってるよ」
ジェノサイドは若者世代にも重要な出来事として認識されています
ジェノサイドと簡単に比較することは出来ませんが、自分は日本の戦争や原爆、原発のことを他人事ではなく「ジブンゴト」としてどこまで捉えられてるかなと改めて考えさせられました