ガーナで学んだ、課題に直面した時に毒気に頼らない道を選ぶこと!〜変えてくとこ・曲げないところ〜

気がついた自分の間違い

しかし数週間経つにつれ、その気持ちは変わっていった。

30万円のお金が手に入らず、活動に制限がかかる中でも同僚は立ち止まらなかった。
そのお金がなくても何ができるのか、どうしたらいいのか、を考えて動いていた。

それを見て私は自分の間違いに気がついた。
あの時経理部長に怒らなかった同僚は、この活動に真剣じゃなかったわけではない。

個人的には、経理部長にキレたことは、やり方は良くなかっただろうけど後悔はしていない。やっぱりあれは許せなかった。

だけど、彼女に対して怒らなかった同僚に「怒らないっていうことは本気じゃないんだ」などと間違っても思うべきではなかったのだ。
誰しも感情の抱き方はそれぞれだ。

そういえば私も日本人から同じような言葉をぶつけられたことがあった。
「遠慮しないで怒っていいんだよ」
「そこで嫌われてでもはっきり言えないってことは、あなたはまだまだ真剣じゃないんだね」
とても乱暴な言葉だと思った。

そもそも私はちっとも怒っていないのに。
当然のように、相手が自分と同じ感情を持つと決めつけて発せられるその言葉が、恐ろしく悔しかった。

なのに、私は気が付かないうちに同じことをしてしまっていたのだ。

私は私で自分の感情通りに動いた。そしてそれは恐らく日本で20数年培ってきた感覚に基づいている。同僚は同僚で自分の感情通りに動いた。もちろんこれまでガーナで生きてきた中でやってきたように。

当然抱く感情は違うだろう。
でも、そこに「プロジェクトへの真剣さの違い」はなかったのだ。

それが分かった時、もやもやがさーっと消えた。
もちろんとっても反省した。
同僚と一緒にもうちょっと頑張ってみようと思った。

毒に頼らない道

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なんで?どうして?ありえない!!

日本では経験したことがないようなことがたくさん起こるガーナ生活。ともすればそんな風に批判ばっかりしてしまう自分がいる。
よく真意を確認すらせずに、キツイ言葉を投げかけていることも少なくない。

先日ジャーナリスト・安田菜津紀さんの「毒」というコラムを読んではっとさせられた。

誰かの至らないところを責め立てるより、その社会が抱える問題を和らげていくために行動する方がよほど難しい。
この仕事をしていると時々、毒気のある言葉に頼りたくなることがある。より注意を引き、人の感情を波立たせ、物事の白黒がはっきりすればどこか安心したような気持になる。
心のひだに、言葉の毒気が容赦なく注がれる。優しい人たちはまともにそれを吸収し、自分を傷つけ、命を絶つことがある。それを錆びない記憶として刻む限り、私は毒に頼らない道を選びたいと思う(http://kangaeruhito.jp/articles/-/1793

気がついたら、毒だらけだった自分の言葉を今一度振り返り、私も毒に頼らない道を選びたいと強く思った。

変わらなきゃいけないところは変えていこう。
変わるべきじゃないところはぶつかっても曲げずに凛としていよう。

そのバランスがよく分からなくなって、苦しくてしんどいことがたくさんあるけど、模索していこう。

と決意したガーナ生活13ヶ月目の出来事だった。

Akane Kobayashi


記事転載元:【ガーナ】変わりたいこと、曲げたくないことWWJ.world
2nd Image Photo credit:
hampusklarin via Visualhunt.com / CC BY

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