私がオブロニと呼ばれたくないわけ〜ガーナで考えた、言葉の力から見えたもの〜

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Memawoakye!!(メマヲマーチ!!)
西アフリカのガーナ共和国からおはようございます。

道を歩いていると、小さな子どもからおばあちゃんまで、みんなに「オブロニ!(白人)」と呼ばれる。

ガーナの人たちは本当に人懐っこい。
きっと日本にいる外国人はこんなに忙しくないだろう。
でも最近の私はそれをファンティ語で丁寧に訂正してまわる。

「私の名前はオブロニじゃない」
「アカネと呼んでね」

そんな毎日、協力隊員の小林愛鐘です。

ムキになって言い返しているように見えるかな。
大人気ないかな。
別に言わせとけばいいのかもしれない。
事実彼らと私の肌の色は違うもの。

でも、それでも
私はオブロニと呼ばれたくない。
訳がある。

言葉には力がある。

たかが名前、されど名前だ。
呼び名はいわばラベル。

例えばあなたがジャムを売るとする。
「いちごジャム」とか大きく書いて、材料なんかも表示したラベルを貼るだろう。
いちごジャムと書いてあったら、私たちはだいたい何が入ってるか、どんなものか予想できる。

「オブロニ」という言葉にもそういう材料や成分表示が隠されていると思う。
「オブロニ」という名前で呼びながら、無意識に人の頭の中にはいろんなイメージが浮かぶ。

さて、ガーナの人々の言う「オブロニ」にはどんなイメージがあるのだろうか。

こんなことがあった。
いつも通り、職場から家に向かう道。
トロトロ(ガーナの庶民の足、乗り合いバス)の中で、乗り合わせたガーナ人と少しずつ上達してきたファンティ語で会話する。
それから1セディ20ペセワ(35円)ぴったり払う。
料金表なんてものはないし、値段もそんなにしっかり決まっているものではないんだけど、何度か利用しているとだいたい分かってくるのだ。

そこで後ろの男の人に話しかけられる。
「君はオブロニなんだから、肌が白いんだから、多めに払いなよ。」
冗談だとは分かる、でも腹が立った。

しばしトロの中で喧嘩。
というか私が一方的に知ってる限りのファンティ語と英語で、怒ってただけだけど。

要するに彼の認識は
オブロニ=お金持ち だということ。

ガーナに来てから、初対面の人に何度「give me money」と言われただろうか。

実際そうなのだろう。
ガーナと日本だったら物価も違えば給料だって全然違う。

それでも私はここで、なるべくガーナの人たちと近い目線で生活したいと思ってるし、その中で精一杯自分のできることをやりたいと思っている。

オブロニ=お金持ち=自分たちとは違う

そうやって連想ゲームのように、イメージができあがっていく。
オブロニってラベルにはそんなことが書いてあるように思う。

「小林愛鐘」という人間を見て欲しい。
私だってあなたたちと同じように泣いたり笑ったり苦しかったり怒ったりする。
新卒ニートの私より裕福なガーナ人もいるだろうし、私の方がお金持ちの場合もあるかもしれない。
もし「小林愛鐘」という人間を知った上で、それでもお金が足りないから・・・と言われたら、私なりに何かできないか模索するつもりだ。
だけど、安易にラベルを貼って欲しくないんだ。

忘れちゃいけない。
言葉には力がある。

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そうそう、私は「途上国」という言葉が嫌いだ。
途上国=自分たちより遅れている国
そういうイメージが見え隠れする。

ちょっと辛口に言わせてもらうけど
協力隊って制度自体、進んでいる私たち「先進国」の人間を、遅れている「途上国」に派遣して助けてあげようっていう側面がある。
発展途上を脱したと見なされると、その国への派遣は終わる。
そう考えるとすんごく上から目線。

もちろんね、これは1つの側面だし、参加している隊員みんながこういう認識でいる訳じゃないですよ。
一人一人、協力隊参加の意味付けは違う。
でもこういうイメージや背景があることは忘れちゃいけないし、それを知った上で自分なりに定義していかなきゃいけないと思うんだ。

私は別に、ヨーロッパやアメリカに派遣したっていいと思うんだけど。
どの国だってたくさんの問題を抱えている。
文化の違いやよそ者効果で、いろいろとできることはあるだろうし。

「発展」ってなんだよって思う。
私はいわゆる「先進国」の姿があるべき理想の姿だとはとても思わないし、私の大好きなガーナが、日本のようになっていくことを決しておすすめはできない。

だってね、ガーナではホームレスの人や物乞いをあまり見ない。
みんな「仕事がない」って言いながら、なんとかなってる。
どんなに貧しくたって、土地さえあれば主食のキャッサバやプランテーンは力強く育つし、近所の人や親戚がいればご飯もらえたりする。
日本では家がなくて冬凍死する人がいる。一人孤独に亡くなって何日も発見されない人もいる。

だから日本とガーナを比べて、単純に「日本にあってガーナにないもの」を補填していくような活動はするべきじゃないと思っている。

そんなのおかしい。
私はガーナのいいところからいっぱい学びたいし、日本のいいところは教えてあげたいし、その中で「じゃあこれからどうしていくべきかねえ」って国境を超えて一緒に考えたいんだ。

たかが名前、されど名前。
言葉には力がある。
こういうこと、忘れたくない。


原文元:私がオブロニと呼ばれたくないわけ| W.W.J.world – http://wwj.world/

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