ケニアの忘れざる歴史と人生で一番重い握手をした話〜ケニアでWebメディア事業を始めたワケ〜

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人生で一番重い握手

彼の話が終わり、私たちはまた別の世帯へ移動しようとしていた。

「ありがとう。ただただ、感謝している。あなたの話を聞けてよかった。私たちも、あなたから聞いた話を忘れず、もっと多くの人の想いに接していきたい」

彼は何も答えなかったが、黙って私の目を見つめながらを握手をした。重い、とても重い握手だった。

私も彼の目をじっと見つめたまま、少しの間、動くことができなくなった。彼の顔には、これまでの人生に対する疲れや、やりきれなさの様なものが顔を覗かせていた。それに反して、彼の目は何かを強烈に訴えているかのようだった。私たちは無言で手を繋ぎ続け、その間一言も発することはなかった。しかし、彼の目は私に向かって、確かに叫び続けていた。

頼む、と。

彼と別れ、私たちは次の世帯へ向かって、道を歩いていた。その間、私は彼の最後の言葉について考え続けていた。正直、彼が私に向かって何を伝えたかったのか、何を頼まれたのかは今でも分からない。それでも、最後の言葉が頭からこびりついて離れることはできなかった。

私はとうとう歩くことができなくなり、後ろを振り返り、彼の家がある方を見つめた。この先、彼の言葉は伝わるのだろうか。だとしたら、一体誰が伝えるのだろうか。普通の調査者ならば、聞き取りを辞めてすぐに次の世帯へ移ってしまうのではないか。一体彼は何故私に打ち明けてくれたのだろうか。彼の叫びが、誰かに届くことはあるのだろうか。

私はきっとその時、立ち止まってしまったのだと思う。立ち止まったまま、今でもそこから一歩も動けずにいるのだと思う。普通ならば途上国で見たことなど、日本で過ごす日常の中に消えてしまえばいいのかもしれない。自然に消えていくものなのかもしれない。しかし私にはそれができず、今でもあの日の握手の重みが右手に残っている。

彼の言葉を伝えるべきだ。彼の言葉を伝えなければならない。そうした思いが今でも胸の中にある。ただ、知ってほしい。こういう現状があることを。その気持を変えることができなかった。

PEVが終わってから10年、彼の叫びを聞いてから4年が経つ。昨今のアフリカ熱の高まりは、飛ぶ鳥を落とす勢いである。ケニアではTICAD6が終わり、サブサハラ・アフリカの中でも最も有望な投資先として注目を集めている。それらの言説を一概に否定しようとは思わない。

しかし、私はこの国が抱える現状を、より冷静に、より深く知らなければ、この先この国で大きな問題が起こるのではないかと思っている。彼の抱えている問題は彼だけの特別な問題ではなく、多くのケニア人が抱える共通した問題だからである。そうした問題は研究や報道で伝えられることはあるが、ケニアを取り巻く熱狂の中に消えてしまっている。

あの日にした握手の重みが今も右手に残っている。冷静に、深く、人々の思いによりそった声を、そのまま届けたい。それがあの日から今も変わらない、私の願いだ。

 

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