ケニアの忘れざる歴史と人生で一番重い握手をした話〜ケニアでWebメディア事業を始めたワケ〜

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ある男の独白

いつもの様に農村を歩いていたとき、私たちはいつも遠巻きに眺めていた小広い原っぱのようなところに、家が一軒あるのに気がついた。入り口は小さく、枯れ木と草のバリケードに覆われていたため、これまで見落としてしまっていたようである。よくよく見ると、その原っぱはよく手入れがされていて、端には目立たぬように車が二台止めてあった。周辺の農村で車を所有しているものは数えるほどであり、明らかに中間層以上の世帯であることが分かった。

調査に協力してもらおうと入り口から家の方に向かって声をかけたが、返事はなかった。さてどうしょうか、少し休憩でもしようかとパートナーと話していると、中から怪訝な顔をした男性が歩いてくるのが見えた。

「お前たち、ここで何をしている」

「私たちは学術的な調査を行うため、この一帯を歩いている者です。これまで村長を含め、多くの方に協力していただきました。ぜひ貴方にも話を聞かせていただけないでしょうか」

私は質問表を片手に、汗をかきながら必死に訴えた。男性の表情が晴れることはなかったし調査に協力するとも答えてくれなかったが、あまりに疲労困憊な私たちを見て、とりあえずお茶でも飲めと庭に招いてくれた。

どうやら私たちが原っぱだと思っていたところは、彼の家の庭であるようだった。周辺の農村を歩き回ったが、ここまで広い土地を所有している世帯はなかった。私たちは椅子に座りながら、彼が持ってきたお茶を飲みながら一休みをした。

本題に入る前に、先ずは世間話から入った。いきなり調査の説明をしても、調査に警戒心をもっている人を驚かせ、より警戒されるだけだからだ。この前、雹が降った時は背中にバチバチあたり痣(あざ)が消えなかったとか、履きっぱなしのゴム長靴の中の臭いがひどいことになっているだとか、実家の祖父母は農家で玉ねぎとメイズを作っているだとか、くだらない話も交えながら男性の反応を見てみた。

男性はまるで何かを拒んでいるかのように、表情を変えなかった。これまで多くの住民に対して聞き取りを行っていたが、彼の様な反応は初めてであった。

世間話にも限界がきたため、少しずつ調査のことを話し始めた。この周辺の地域で何があったかは知っている。それが今も忘れられないことだということも。外部者がこんなことを聞くことはとても失礼なことなのかもしれない。それでも、話を聞かせてはくれないだろうか。無理にとは言わない。ただ、現状を伝えて、理解してくれる人を増やして、少しでも良い方向に変えることができたら。そんなことを彼に伝えた記憶がある。

彼の表情は変わらなかった。既に数十分が経過している。聞き取りがスムーズにいけば、一世帯分の調査が終わっている頃だ。

パートナーが小声で話しかけてきた。

「マサ、もう別の世帯の調査に切り替えた方がいいかもしれない。彼は話す気がないようだし、ここで時間を使いすぎたら今日の分の調査が終わらない」

パートナーの言い分はもっともだった。無理に話を聞こうとしては、私たちにとっても彼にとっても負担になるだけだ。聞き取り相手の心情を慮って、決して話すことを強制しないというのが、私とパートナーの約束でもあった。しかし、私はこう答えた。

「君の言うとおりだ。しかし、彼には何か違うものを感じる。話そうとしていないかもしれないが、何か迷っている様にも見える。こういう相手だからこそ、話を聞かなければならないと思うんだ。俺は彼の話が聞きたい。ゆっくりやろう」

これまでバックパックを担いで、いろいろな国に周り、時には軍事政権下のミャンマーでタブーとされている話題にまで踏み込み、多くの話を聞いてきた。本当に彼が話したがらないなら、私にはそれが分かるはずだ。

しかし、目の前にいる彼は、話そうとはしないが、どういうわけか話したがっているようにも見える。私は彼が口を開くまで待ってみようと思った。ゆっくりとお茶を飲みながら、彼が反応しないにも関わらず、たまに思い出したかのように話しかけてみた。

今日はいい天気だな。ここは緑も多いし、美しい村だ。すれ違う人も親切に挨拶をしてくれる。子供がからかってくるのはちょっとまいるなあ。ここで「あんなこと」があったなんて、やっぱり自分には信じられないよ。

それは独り言に近いものだった。

そんなことを数十分続けていたら、男性が小さい声でぽつりと囁いた。それは唐突だったが、自分には妙に自然に思えた。一度口を開いた彼は、小さい声ながら、しかし途切れることなく話し始めた。彼は私というより、自分自身に話しかけているようだった。彼の言葉もまた、独り言に近いものだった。

「私はここでは少数派の民族なんだ。少数派の民族がどういう気持ちでここで生きているか、分かるだろうか。私は車も持っているし、大きな土地も持っている。とても目立つんだ。少数派の民族の人間がどういう気持でここで生きているか、分かるだろうか。とても怖いんだ。周囲の人が襲ってくるかもしれない。ただでさえあんなことがあったのに。ここで生きることは私みたいな人間にとって、とても難しいことなんだよ」

彼の独り言をただ黙って聞いていた。彼が話す度に、彼が何故あんな表情をしていたか、話し出せなかったのか、少しずつ理解しはじめた。彼は長年、この地でそうした不安や恐怖を抱えながら生きていたのだろう。周辺の村を調査していて、この一帯が決して裕福ではなく、むしろ貧しい地域なことは分かっていた。

さらに、悲劇が起こった村からほど近く、この村の中でも暴力が猛威をふるっていた。その不安や恐怖は、PEVが終わって五年が経っても決して薄まることはなかったのだ。彼は日常の中でそうした恐怖や不安と戦ってきたのだろう。彼が何故話すことを躊躇したか、話し出せなかったかが、胸が痛くなるほど伝わってきた。

同時に、私は無理に彼の話を聞こうとしたことを後悔した。日本人の私には決して理解し切れないのではないかと思えるほど、ここでは民族と暴力が深く結びついているようだった。

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