アフリカ最大スラムで日本人が営む寺小屋が窮地に!?マゴソスクールの笑顔を守りたい!

以下は代表の早川千晶さんのコメントです。
彼女の熱い思いが伝わってきます!!


代表の早川千晶さんからのコメント全文!

皆様いつもマゴソスクールを応援してくださって本当にありがとうございます。今日は現在のマゴソスクール運営資金の困窮した状況と、その事情背景、そして今後の展望についてご説明させてください。どうぞよろしくお願いいたします。

これまでその時その時の自転車操業で17年間、運営し成長し続けることができたマゴソスクールですが、キベラスラムの子どもたちと貧困者の救済のためがむしゃらに走り続けた結果、規模が拡大し続け、ついにはこのままでは運営費がどうにもならないというところまで来ました。

特に、この2年間、マゴソスクールにとっての最大の資金提供をしてくださっていたNPO団体から、2015年8月末に、支援を継続することが難しくなったと連絡を受け9月から大幅減額、そして12月には資金援助が完全中止となりました。その理由は、そのNPO団体が予定していた他団体からの資金援助が受けられなかったということで、資金源が無くなったのでやむを得ずの事情とのことでした。

さかのぼりますと、マゴソスクールは1999年にはじまりましたが、私自身は1989年よりケニアで働きながら生活をしてきました(ケニア人の夫と子ども2人、孫1人の家族)。ケニア生活10年になってからはじめたキベラスラムでの活動でしたので、私は長年のケニア生活で、日本側には生活基盤や人脈を持っておらず、ケニアで廃品回収をして、観光客のガイドや旅行手配、取材・撮影の通訳やコーディネーション、執筆などをして働きながら、キベラスラムの子どもたちに給食を出し、寺子屋を作り教室を建設し、貧困者への生活支援や職業訓練を行ってきました。

リリアンは、私がナイロビで会社勤めをしていた頃からの個人的な友人で、彼女はその頃もキベラスラムに住んでいました。彼女はスラム生まれのスラム育ちで、スラムで両親を病気で亡くし、幼い弟妹を守りながら必死で生きていました。出会った当時私たちはまだ20代のはじめでした。

私は、リリアンがどんな困難なときにも決して希望を失わず、いつも前を向いて生き抜いていく姿に魅了されました。やがてリリアンは自分が暮らしていたスラム長屋の一室に孤児を集め、小さな寺子屋を開きました。孤児がどんなに苦労して、どんな想いで生きているかつくづく知っているからこその行動でした。

最初は20人だった子どもたちが、どんどん増えていき、50人、100人、200人と、助けを必要とする子どもたちが次々と集まってきました。私たちはその度ごとにご縁があって入ってくるお金を費やして、教室や宿舎を増やし、食糧を買い、子どもたちを救済し続けました。

これまでマゴソスクールの運営資金は、スタディツアー収益や、CDやグッズの販売収益、日本でのトーク&ライブで得られる利益、ご縁があって出会った皆様からの募金などで、その時々に必要な費用をまかなってきました。途中で私が仕事をさせていただいたフジテレビの「あいのり」という番組との出会いがあり、その際にミリティーニ村にジュンバ・ラ・ワトト(子どもの家)を開始、ジュンバ運営費を支援していただきましたが、番組終了に伴い、あいのり募金も終了しました。

その後、ジュンバ運営費の支援を引き継いでくださった友人がNPO団体を設立し、支援をマゴソスクール運営費まで拡張してくださり、その間、順調な資金調達ができたため、マゴソスクールが600人規模まで拡大していきました。

ところがこの度、そのNPO団体からのご支援も終了し、現在に至っています。

マゴソスクールとジュンバ・ラ・ワトトを運営するために必要な経費は、昨年までは月額80万円前後かかっていましたが、その徹底的な経費見直しをして、最低レベルまで経費減額をしました。やむをえず数名の職員を解雇し、月額60万円前後まで落としました。
(注:これは月々の基本運営費のみで、教職員給料、給食、ジュンバとマゴソファミリーの子どもたちの生活費のみの金額です。その他の経費、例えば文房具などの消耗品、教室の修理、各行事の出費、教科書などの教材費、マゴソ作業所の経費は含みません。)

その上で、2015年12月13日付けで私から「緊急カンパのお願い」を回覧させていただき、その結果、2016年1月31日までの間に942,218円を皆様からご支援いただき、「マゴソスクールを支える会」の松岡事務局長が2月9日にケニアまで届けてくれました。

ご協力くださいました皆様に心からのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました!窮地を救っていただいたことに心から感謝いたします。ありがとうございます。

その後、この金額をケニア側で入金した上で、私が日本から帰ってくる7月16日までに必要な金額を計算し、不足金額を算出しました。

私は4月21日から7月16日までの約3ヶ月間、日本各地を回ってトーク&ライブを行いますが、その出発前に、私がケニアに帰国するまでのマゴソスクールの運営費をケニア側の口座に入れておく必要があります。(私が留守中のマゴソ&ジュンバの子どもたちの食糧確保と、マゴソ教員&職員給料のため。)

7月下旬までのマゴソスクール&ジュンバの基本経費をまかなうために、あと100万円足りません。

そこでこの危機的状況に際して、私は考えました。

私が3ヶ月間、そしてその間の5月23日~6月23日にリリアンとオギラ先生が来日し、日本でトーク&ライブを行い、マゴソの資金調達をしていきます。

その際に、私たちは、「マゴソスクールを支える会」のサポーターとなってくださる方々を、呼びかけして集めていきたいと思っています。

月々1000円をご支援くださるサポーターを600人集めることができれば、マゴソスクールとジュンバ・ラ・ワトトを存続させて運営し続けることができます。

これはちょうど、マゴソスクール&ジュンバの子どもたち600人と、同じ数であることに気がつきました。要するに、本来ならば、この子どもたちの親が、月々1000円を学費として支払うことができれば、最低の学校運営費はまかなうことができるということなのですね。しかし、このマゴソスクールの子どもたちは、多くは親が無く、いたとしても片親か、身を寄せている親戚が極度に貧しく、まともに生活することすらままならない状況にあります。しかし、お金は無く生活が苦しくても、子どもの幸せを想い、精一杯がんばろうとしている親御さんたちも数多くいます。

子どもの教育が、スラムの貧困を生きていく中で唯一の希望の光だというスラム住民はたくさんいます。

また、虐待や病気の上に放置、親がいてもアルコール中毒、犯罪、売春、精神障がいなど、子どもたちが悲惨な状況にさらされている場合、マゴソスクールでは保護して生活すべての支援を行います。これは子育てと同じで、その子どもが社会に出て自立できるようになるまで養育者として全責任を負うということです。

このマゴソスクールの運営資金の危機的な状況において、私とリリアンはこの4ヶ月ほど、私たちだけの話し合いを何度も繰り返してきましたが、リリアンが至った結論は、「たとえお金がなかったとしても、目の前に苦しんでいる子どもがいるのに、それを私は見て見ぬふりをすることはできない。手を差しのべずにはいられない。これが私の人生だから決して変えられない」と、そう言いました。

苦しんだ末の、リリアンの結論です。

スラムの奥深くに住むリリアンだからこそ、見えることがあります。このような魂を持って生まれたリリアンだからこそ、出来ることがあります。

人間にはそれぞれ役割というものがあるのではないかと思うのですが、リリアンはたとえ支援を受けられたとしても受けられなかったとしても、そうやって自分の人生のすべてを費やして、子どもたちの救済を続けていく人です。

それならば私は、何とかそんな子どもたちにより良い今とより良い未来の扉を開くことができるように、ひもじい子どもたちにご飯を食べさせ、苦しみ絶望している子どもたちに希望を与えることができるよう、温かい寝床と、教育を受けられる機会と、大人からの愛を受けられる機会を、そんな場所を守り続けていくために、資金を調達し続けることができればと願う次第です。

マゴソスクールの安定した運営資金の土台作りのために、月々必ず千円をシェアしてくださるお友達を600人、マゴソスクールは必要としています。
それと同時に、私、リリアン、オギラ先生がその呼びかけのために来日する期間、子どもたちが変わらず給食を食べ、生活し、勉強を続けることができるように、このピンチの時期を乗り切るためにあと100万円を目標にして、再び緊急募金の呼びかけをさせていただきたいと思います。

いつもお願いばかりで本当に恐縮なのですが、この危機を乗り切るために皆様、今一度、助けていただけないでしょうか。

私が日本を3ヶ月間まわる間は、日本全国各地の会場でトーク&ライブを開催していく際、必ずマゴソグッズの販売と、募金箱、および、「マゴソスクールを支える会」の会員募集をさせていただきたいと思います。

「マゴソスクールを支える会」は、マゴソ側ではすでに皆がそれを理解しており、Magoso Japan と呼んでいます。キベラのマゴソと、ミリティーニ村のジュンバ、そして日本側のマゴソ・ジャパンは、大きなひとつの家族として、みんなで支えあい、助けを必要とする子どもたちを支援していけたらと願います。

キベラ側でも、関わる大人たち、マゴソ卒業生たちは、主体的に、努力をしていく気合いを高めています。

助けが必要な子どもたちは日本にも数多く存在しており、現在状況はますます深刻で、その数は増え続けていっていますが、私たちは、マゴソファミリーとして、日本の子どもたちや社会に対して、私たちが出来る形でこれからも応援や影響を届けていきたいと思っています。日本各地で子どもたちに出会い、キベラの話やケニアの生命力あふれる音楽を届けていき、共に生きていく希望を生み出していきたいと願っています。

マゴソスクールとジュンバ・ラ・ワトトの存続を、今度こそもはや一巻の終わりかと、絶望しそうになることが私にはありましたが、そんな時も一貫して変わらなかったのはリリアンの信念で、「これは、私のnature(本質)だから。変えることはできない。たとえ一銭も無くなっても、自分の身の回りに誰一人助けてくれる人がいなくなったとしても、私は、子どもたちを助け続けることをやめない。死ぬまでやめない。一生やり続ける。」と、リリアンは言いました。その想いと行動は、本物であると私は確信しています。

1999年にマゴソスクールをはじめてから17年目になり、いま私たちの周りには、リリアンの魂を受け継ぐ若者たちが何人もいます。

8歳で母親が死に、浮浪児になりながらも赤ん坊の弟を守り続けたオギラ(現マゴソ教頭)は、少年のころリリアンに出会い、自分のどん底の人生に唯一の希望だったと言いました。マゴソOBOGの若者たちの多くが、それをよく口に出して言います。

昨年の終わり、私は彼らに、マゴソスクールを運営していくためのお金がまもなくゼロになるかもしれない。そのあともうまったくお金は来ないかもしれない。マゴソスクールとジュンバを閉じて解散する準備をしていくか。と、問いかけたとき、彼らは、どんなことがあってもここを守り続けたいと言いました。自分たちにとって、ここが生きていくための唯一の希望だった、マゴソが無かったら他に何の希望もなかったと、真剣に彼らは言いました。

そんな彼らの姿を見ていて、やはり、あきらめたくない、どんなに崖っぷちだと思っても、必ず道はあると信じたい、道を切り開いていきたいと思いました。
あきらめずに挑戦し続けたいと思います。

このマゴソスクールとジュンバ・ラ・ワトトという、貧困にある子どもたちにとってのオアシスを、スラムの貧困者にとって希望となる場所を、子どもたちが未来に夢を持つことが出来る場所を、その影響を社会に広げていける土台となる場所を、私たちは守っていきたいと思います。

どうか、マゴソスクールとジュンバ・ラ・ワトトの存続のために、今一度、力を貸していただけませんでしょうか。何卒よろしくお願いいたします。

もしもご協力いただけるようでしたら、「マゴソスクールを支える会」の口座へ募金いただけますと非常にありがたく思います。

早川千晶



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1コメント

  1. 少しでも支えたいと思いますが 国や大人たちの頑張りと子供でも生きていく力を指導してくださいね

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