【イベントレポ】セネガルで日本人初となる日本食堂オープンまでの軌跡の話〜アフリカビジネスラボ〜

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こんにちは!恋する旅ライターかおりです。

日本からは心理的にも物理的にも遠いアフリカ。そんな日本とアフリカの距離を縮めたいとの想いから、2016年より毎月開催されているイベントが、「アフリカビジネスラボ」です。

今回のゲストは、アフリカの最西端・セネガルの首都ダカールで、日本食堂「和心」とゲストハウスを経営する原田翔太さんです! ファッションやダンスなどのカルチャーが盛んで、治安が良いセネガルに惹かれていた筆者は、ネット経由で原田さんの存在を知っていたため、直接お話を伺えるのを楽しみにしていました。

さまざまな紆余曲折を経てオープンした、セネガルの日本食レストランのストーリーに、ぜひご注目ください!

周囲の大反対を押し切り、18歳で単身インドへ!

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インドの世界遺産「タージ・マハル」にて

千葉県のごく一般的な家庭で育った原田さん。サッカーに明け暮れた青春時代を過ごし、勉強は嫌いだったそう。高校卒業後は大学に進学しようと思っていたものの、1冊の本との出会いによって、その後の人生が一変します。

原田さん「高校3年生のときに参考書を買いに本屋に行ったところ、平積みされていたインドに関する本がふと目に入りました。手にとって読んでみたら、のめり込んでしまい、気づいたら2時間ぐらい経っていて(笑)。その本を読み終えた瞬間に、『大学受験をやめてインドに行こう』と思いました」

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インドにて現地の子供たちと

なかでも、マザーテレサの生き方に憧れインド渡航を志した原田さんですが、学校の先生や両親、友人からも大反対を受けます。ですが、反対されればされるほど、インドへの気持ちは募るばかり。結局、高校卒業後にアルバイトで資金を貯め、インド、タイ、ネパール、バングラディシュを回る4カ月間の旅に出たのです。

原田さん「インドでは、カルカッタにある『マザーハウス』にて、1カ月間ボランティア活動をしました。すごく素晴らしい体験ではあったものの、英語がしゃべれなくて、外国人の人たちとコミュニケーションが取れなかったことが、すごく心残りで……。その後はフリーターをしながら、アメリカなど海外を旅していました」

2010、初めてのセネガル渡航でアフリカのイメージが一変

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海外に魅了されていた原田さんが、アフリカの地に初めて足を踏み入れたのが2010年、23歳のときでした。当時、アルバイトをしていたブラジル料理のレストランでセネガル人の友人ができて、彼の里帰りに同行したのです。そこで、アフリカに対するイメージが一変したと原田さんは言います。

原田さん「渡航前に持っていたアフリカのイメージは『貧困・飢餓・病気・紛争』でした。でも、実際に行ってみたら、まったくそんなことなかった。もちろん貧しい人はたくさんいるんですが、助け合いの文化が根付いていて、自宅に招かれて食事をご馳走になることも多いんですよ。これは『テランガ』と呼ばれる、セネガル流の“おもてなし”です」

決して生活が豊かではないものの、困っている人がいたら手元にあるものを分け与える。そして、その文化を彼らは誇りに思っている。すごく素敵だと思いませんか? ただ、生活することはできても、やはり彼らには課題が多くありました。

原田さん「住むところや食べるものには困らないけれど、仕事がなくて欲しいものが買えない、行きたいところに行けない。それが彼らの悩みでした。セネガル人の男性って筋肉ムキムキですごくパワフルなのに、仕事ができないのはすごくもったいないなって。だから、いつか彼らと一緒にビジネスができたら楽しそうだなと思いました」

とはいえ、当時の原田さんにはセネガルに移住したいなんて気持ちはさらさらなく、初訪問を終えたのでした、

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