こんにちは、上智大学一年の吉田です。私はこの夏、東アフリカのウガンダに1ヶ月滞在し、スラムにある孤児院でボランティア活動を行ってきました。
最終回となる今回は、アウトリーチ(現地調査)に同行した時に触れ合った、ストレートチルドレンとのエピソードとボランティアを通じて考えた支援・開発に関する学びをご紹介させていただきます。
ウガンダのストリートチルドレンに会いに!
プロジェクト先で体験した印象深い出来事としてアウトリーチがあります。アウトリーチとは首都カンパラの中、大通りから脇に入ったところに広がっているスラムのストリートチルドレンの状態を見る調査です。
そもそも私のいた孤児院はストリートにいた子どもたちを連れてきている施設なので、施設のスタッフさんは週に2回ほどスラムに行き、様子を見ています。スラムは危険だから、と最初は一緒に行くことができませんでしたが慣れてきたころに連れて行ってもらえることになりました。
ストリートにつくと、明らかにそこでの生活は貧しいと呼べるものだと思いました。現実にこういう暮らしがあるのだ、と。ストリートには子どもだらけで、ウガンダ人以外の人を見るのが珍しかったのか、私が行くとすぐに何人かが寄ってきて人だかりになってしまいました。
最初にプロジェクト先の孤児院に行った時も同じことが起きました。そして、これもまた施設に始めて行った時と同じように、みんな口々に名前や出身国を聞いてきます。
「ユリだよ、日本から来たよ」と伝えました。私へのストリートの子どもたちの反応はプロジェクト先の子どもたちと本当に同じでした。でもストリートの子どもたちの格好は明らかに汚れていて、安心して寝る場所もなくて、何より全員片手にシンナーを持っていて、呂律が回っておらず、目の焦点も合っていませんでした。
私は彼らの置かれているいる状況に驚いた以上に、彼らも施設の子と同じ、そして少し昔の私と同じ子どもであるという当たり前のことに気がつかされました。だからこそ余計につらかったです。私と彼らの差はどこで生まれたのでしょうか、施設の子と彼らの違いはなんでしょうか。
施設も決して裕福な暮らしではありません、しかし、最低限の衣食住がありました。ストリートにおいて、これもまた現実なんだと身をもって感じました。
何ができる?支援・開発の難しさに直面!
自分が彼らにできることはないのだろうか、と考えました。やっぱり何にせよ明日食べるものがないことが問題ならば食べるものを手渡してあげることが必要なのではないかという結論に至ってしまいました。
でも、それは自分が考えていた、きりがない、お金やモノでの支援を考えていることでした。もやもやしながら宿舎に戻り考え、日々を過ごす内に帰国の日が迫っていました。
私は帰国直前で、現地通貨を余らせており、このお金でなにができるだろうと考えました。
すると、やっぱり思い浮かんだのはあのストリートの子どもたちでした。一時的な支援という言葉に固執しているのはおかしいのではないか、目の前の一人を救えずに偉そうなことは言えないのではないか、なにかしなきゃと思ったのです。
そこで、帰国2日前にスタッフさんに頼んで再びストリートに行かせてもらいました。そこで余っていた現地通貨ほとんど使って、細々と売っていた木彫りの置き物を買うことにしました。
子どもたちは一回目と変わらず寄ってきました。ニコニコ話してくれました。
でも、私がお金を渡して置き物を買ったのを見た途端、彼らは私に「お金ちょうだい」と言い始めました。彼らの中で私は「お金をくれる人」に変わってしまったのです。
それが悲しく、強く印象に残っている出来事です。私は何ができるのだろう、どうしたらいいんだろうと途方に暮れました。支援や開発という言葉は知っているけれど、それを実際に感じたことはなかったし、その難しさに直面したのも初めてでした。お金をどのように使うか、何が悪くて今この現実が生まれているのか。何をどうすべきなんだろう。
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