ブルキナファソの魔女に会いに行ってみた。〜アフリカの「魔女」と悲しい現実〜

「魔女」にされた人たちのこと

センターのことや、ブルキナファソのウィッチ・クラフトのことについて、センターの運営団体のスタッフ、オルタンシアさんに話を聞くことができた。珍しい名前だと思っていたら、ブルキナファソ人ではなく、東南アフリカの旧ポルトガル植民地モザンビークの出身だそうだ。

―『魔女』の女性の家族が訪ねに来ることはあるんですか?

「ええ、家族と言うか、夫や兄弟姉妹よりも子供ですね。お母さんに会いにくる子供はいます。ただ、『魔女』に会いに行くのは村の掟で禁止されています。もし会ったことが村に知られると『魔女に会った』としてその子まで差別されます。なので誰にも言わず、こっそり会いに来るんです。子供も家族も誰も会いに来ない女性も少なくありません。収容者の代表を務めている女性は9年間ここにいますが、誰一人彼女に会いに来た人はいません。」

―そうなのですね。

「はい、病気のお母さんが『魔女』にされ、病気なのだから会いに行きたいと言って、父親から許しを得ずにここに会いに来た娘さんがいました。何日か娘さんが一緒にいたのですが、その母親は亡くなりました。」

―収容所で亡くなった場合、遺体はどうなるんですか?

「亡くなった方の家族が我々と連絡を取っている場合、家族のだれか引き取りに来ますが、もし誰も引き取り手がいなければ、遺体を市が引き取って共同墓地に埋葬されます。死んだ後も村には帰れないのです。今年は十一人の方が亡くなりました。収容者には高齢者がとても多く、また精神的なショック、環境の変化も健康を崩す原因ですね。」

オルタンシアさんは収容者の保健費用の負担が施設の最も深刻な問題だという。確かに、家族も会いに来ない孤独な老婆が約三百人も狭いセンターに身を寄せ合って生活していれば、健康上の様々な問題が起こるだろう。ただ、この施設までたどり着いた女性は他と比べれば幸せなほうだと続ける。

「ただ、ここまで来られた女性は本当に勇気がある人です。なぜなら自ら死を選ぶ人も大勢いるからです。『魔女』とされ、村を追い出されたら 昼はブッシュに身をひそめて夜になったら荒野を歩きさまよいワガドゥグを目指します。自分の村の隣の村に逃げるなんてわけにいきません。地域一帯の誰もがその女性が『魔女』だということを知っていますから。水を飲もうと井戸に行くだけで、皆怖がって『魔女』が使った井戸に近づこうとしません。三日間荒野を彷徨ってワガドゥグに着き、ここ(収容所)までたどり着いた女性がいます。村から追い出されて、荒野を歩き、ワガドゥグの路上で物乞いをしているところ、水売りの少年からここを教えてもらい、施設までたどり着いたとのことです。」

―ということは、施設にいる女性は偶然ここまでたどり着いたということですか?

「そうです。村を追い出され、ワガドゥグまでたどり着いて、人づてにここまで来るのです。路上商人やストリートチルドレンが連れてくることが多いです。『魔女』だと言われ、家を燃やされ、村を追い出されて家族とも会えない。荒野で死を選ぶ人も大勢います。」

想像してみてほしい。ある日突然「魔女だ」と言われ、家族から引き離され、生まれ育った村を無一文で追い出され、茂みに潜んで、荒野を街まで歩いて物乞いをしなければいけない境遇に陥ったとしたら・・・。ワガドゥグまで歩き、この施設まで、まさに文字通り「たどり着いた」彼女たちは「魔女認定」を受けたほんの一握りでしかないということになる。

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