仕事の醍醐味
あらゆる仕事にはそれぞれの楽しみや困難がありますが、では草(以下略)の仕事の醍醐味とは何だったかと問われれば、途上国におそらく普遍的に存在する絶望的な格差を体感できたこと、と私は答えます。
住むのは首都アブジャ。
アブジャは新しい首都として1980年代に計画的に作られた都市で、「住んでいるのは政治家と外交団だけ」と言ったのは私の大学院時代の親友のナイジェリア人。
そもそもそういう性格の都市の中で、大使館の安全対策の基準を満たした住居で暮らし、外交団、援助機関職員や企業駐在員を含む在留邦人の他、ナイジェリア政府関係者とも接する機会があります。
そんな生活の中、たまに地方へ視察へ行きます。
陸路を半日車で移動して辿り着く村々では、少女たちが淀んだ池の水を汲んで、人々はその水を調理に使っている。
病院の廊下には何人もの女性が子どもを抱えて座り込み、自分の順番を待っている。病院の機器や薬品は乏しく、衛生管理も行き渡っていない。
首都に暮らす人々と地方で暮らす人々の生活水準の歴然とした差は、見る者の心に問題提起をせずにはおきません。
必死で生きる美しさ
とは言え、格差や貧困はアフリカ社会の一面に過ぎません。
アフリカ研究なんてマニアックな学位を持っていると、しばしば「なんでアフリカなの」と聞かれます。
その時々に色んな表現で答えますが、私の根っこにある思いは一つです。
人々が必死に生きる様が美しいと思うから。
そして自分もそう生きたいと願うから。
特に好きなのは市場の活気です。キオスク程度の大きさの店舗が延々と連なり、色とりどりの服を着た人々がめいめいの商売に精を出す光景はただただ美しく、私はそこに生々しい生への希求を感じます。
貧しい暮らしの中でも、子供たちは工夫を凝らして身の回りの不用品をおもちゃにして遊び、無邪気に笑います。
アフリカには、日本人が直感的に結び付けがちな否定的イメージとは随分異なった、瑞々しく強靭な生命力があります。
よく「アフリカの水を飲んだ人間は再びアフリカに帰る」などと言いますが、誰しも一度アフリカを訪れれば、アフリカのこうした魅力の虜になってしまうということだろうと思います。
アフリカでの生活は日本と違って日々困難の連続なので、ただ住んでいるだけでも適度な疲労、もとい生きている実感が湧きます。
どんな困難かというと、たとえばここ数週間、私の住んでいるマンションでは毎週半ばになると水が止まるという困った事態が続きました。
おかげさまで私は、断水後に蛇口からお湯が出てこなくなったときの対処方法を身に付けました(ドヤァ)。それについてもいつか別の機会があればご紹介したいと思います。
そんなわけで、今回はナイジェリアの写真を添えて公的機関のお仕事についてざっくりご紹介しましたが、もしもっと具体的なことを知りたい方がいれば個別にお問い合わせください♪
ここでは書けないあんなことやこんなこともお伝えできる・・かも!?
そして、次回は予告どおり民間企業でのお仕事について書きます。
エチオピアでの写真を添えてお届けしますので、どうぞお楽しみに!
SJ
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