こんにちは。
南アフリカのトランスカイと呼ばれる地に住むコサ族に嫁いだバンベニ 桃と申します。現在はノンフィクション作家として執筆活動中です。今回は私自身の自己紹介と、私の住むトランスカイについて紹介させていただきます。
3年弱のヒッチハイクの旅でたどり着いたトランスカイ
ユーラシア大陸横断、アフリカ大陸東西南北とバックパックを背負い、ヒッチハイクで駆け抜けたのはもう8年も前の話。私の20代は旅に明け暮れていた。
現在はあの旅でたどり着いた南アフリカのトランスカイでコサ族の主人と結婚、二人の子供を授かり暮らしている。あの旅の延長線で暮らしている私は、今もあの旅が終わったと感じていないのかもしれない。
トランスカイはネルソン マンデラや、タボン ベーキなどの歴代の南アフリカ黒人大統領の出身地である。そしてトランスカイは旧独立国でもある。
当時アパルトヘイト政策中の南アフリカ白人政府が、この地をホームランドと名付け、黒人をこの地に追いやった。今では南アフリカに返還され、トランスカイという呼び名は公式ではない。しかしこのトランスカイの住民は未だにこの地に誇りと愛着を持って「トランスカイ」と呼ぶのだ。
幸運にもアパルトヘイト時代に黒人の文化を守れたトランスカイは、南アフリカの中でも唯一民族的な暮らしが残る地域として知られている。しかしその分経済成長は遅れ、今でもトランスカイは南アフリカの中でも貧しい土地というレッテルを貼られてしまった。
シンプルな暮らしを提案する「シソドワ」の活動
私がトランスカイに移住してから6年が経つ。
私の住む町ウムタタには日本人は私と私の子供だけ。
あの8年前の旅で私は世界中の人に助けてもらいながら旅を続けた。
女一人で親指を掲げ、ヒッチハイクを繰り返す旅は苦行ではあったが、それによりシンプルに生きることの大切さを悟った。
当時、私の45Lのバックパックは15kgほどの荷物しか入っておらず、画材道具、一眼レフカメラ、テント、そして少しの着替えだけが、私のすべての所持品だった。テレビも見ない、雑誌も見ない、情報はすべて現実に自分の目で見たものだけ。
そんな旅が3年弱も続き、私はどんどんシンプルな人間となっていった。
特にアフリカ大陸に入ってからは、彼らのシンプルな暮らしにたくさん刺激を受けた。
ものを修理しながら大切に使うこと。
一つのものをシェアする文化。
必要なものだけで逞しく生きて行くその姿。
大家族がもたらす豊かなコミュニケーション能力。
「便利な暮らし」を追求する日本で育った私は、その「不便な暮らし」の豊かさに感動し、刺激を受けた。
現在は「地球アート雑貨 sisodowa(シソドワ)」というブランド名で、自分の足で歩き拾った木の実や種を使い、アクセサリーや雑貨を作っている。
そしてシソドワは雑貨制作だけではなく、その活動は私たちが「生きること」そのものを表している。
シンプルな暮らしと、アフリカの生活を発信するため、ライターとして執筆活動も行なっている。
シソドワの活動は「シンプルな暮らし」という大きな基盤の上に成り立っている。
その基盤の上に「消費しない暮らし」「自然と循環した暮らし」「リサイクル」「トークライブ」「旅」「DIY」「ワークショップ」「衣食住」「執筆活動」「自然素材雑貨作り」などが私の日常生活も含め、行われている。
シンプルな暮らしをすると、大切なものが意外と見えやすくなるものだ。私たちが必要とするものは、いつの時代もとてもシンブルなものであり、そこに気が付くことは、現代社会の中では非常に難しくなっている。
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