インタビュー企画『南アフリカ・ヨハネスブルグの街角から』!アパルトヘイトやネルソン・マンデラで知られる南アフリカ。多様な人種が住んでいることから、「レインボー国家」と言われています。南アフリカの大都市、ヨハネスブルグで出会った人々に聞いてみました。

Q. あなたは南アフリカで差別にあったことがありますか?

南アフリカ ヨハネの街角から

  • 街行く人4:NO NAME
  • 出会った場所:ヨハネスブルグ、Melville

数え切れないほどあるよ。具体的にあげるとすると、そうだな。

兄の婚約者がアフリカーナ-(※1)なんだけど、付き合った当初は彼女の父親が反対して、彼女をオーストラリアに1年間連れて行ったんだ。その頃まだ高校生くらいだったから、ものすごい強行手段で、カップルを引き離したわけ。今年やっと婚約することができたんだ。説得に7年もかかった。

(※1:オランダの植民地時代に、現地語とその他ヨーロッパの言語が混ざってできたアフリカーンス語を話す人たち。オランダ系白人が多い)

こうした差別は、自分と異なる人に対する無知が原因の一つにあるんじゃないかな。「この人たちはこういうものだ」っていう推測だけがあって、実際は相手のことを知らない。知らないことをいいわけにして、いつまでも距離が縮まらないんだ。

人として知ろうとしないと、差別はなくならないんじゃないかな。

自分自身のアイデンティティについて、今模索しているところなんだ。宗教も何もかも含め、自分が何者なのか。

今関心があるのは仏教。ただ、ヨハネスブルグには仏教寺院がないから、隣のプレトリアまで行って見ようと思っているんだ。

大学を中退して、今は音楽をやっている。ライブでパフォーマンスをするときは、「NO NAME(=名前なし)」。空白だ。名前に何の意味があるっていうんだ? 

メルヴィルの路上でギターの演奏をしていた彼。ひょっとしたら南アフリカ人ではなく、近隣のアフリカ諸国からの移民かもしれない、と思いながら話しかけました。南アフリカは、アフリカ南部で最も経済発展をしています。そのため多くの移民が職を求めてやってくる。しかし、彼は南アフリカで生まれ育った南アフリカ人でした。

制度としては終わったけれど… (編集後記)

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50年以上続いたアパルトヘイト政策。1994年に廃止されて24年経ちました。

日本でいう”ゆとり世代”以降はアパルトヘイト後の世代となりますが、その親世代はアパルトヘイトの時代を生きてきました。制度として廃止されたとしても、50年間蓄積されてきた差別感情をリセットすることは簡単ではありません。

相手がどんな人か知る前に、その人がどの人種であるかで判断してしまう、ということはどういうことなのでしょうか。

部族の違いや宗教の違いは、口に出さないとわからないかも知れませんが、肌の色の違いは一目でわかってしまいます。しかし、それが意味することは何なのでしょうか。両親ともに日本人だとしても、海外で日本人以外の人に育てられたとしたら、どうでしょう。

私たちが、無意識に考えてしまうステレオタイプについて考えさせられました。

シリーズ企画(過去記事)

あなたは差別を受けたことがありますか?〜南アフリカ ヨハネスブルグの街角から〜

アパルトヘイト時代の黒人専用居住地、ソウェトから伝えたいこと!〜南アフリカ ヨハネスの街角から②〜

肌の色で判断されるステレオタイプな社会で生きる!〜南アフリカ ヨハネスの街角から③〜

 

チャリツモ

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ばんゆかこ

ばんゆかこ

フリーライターチャリツモ
他人事から自分事へ。チャリツモは、クリエイターが社会問題をわかりやすく伝えるメディアです。自分たちのアクションで、より良い社会が作れると信じて、クリエイターや社会問題の当事者が、日々情報発信しています。メディアの他にも、多世代で社会問題を語り合う場を増やすために「社会問題見えるカルタ」を制作し販売しています。また、受託でのクリエィティブワークも取り組んでいます。