インタビュー企画『南アフリカ・ヨハネスブルグの街角から』!アパルトヘイトやネルソン・マンデラで知られる南アフリカ。多様な人種が住んでいることから、「レインボー国家」と言われています。南アフリカの大都市、ヨハネスブルグで出会った人々に聞いてみました。

Q. あなたは南アフリカで差別にあったことがありますか?

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  • 街行く人2. Lebo
  • 出会った場所:ヨハネスブルグ、Soweto

うーん・・・具体的な例を挙げるとすると・・・奥さんがスウェーデン人なんだけど、二人でアフリカーナー(※1)の人が多い地域にドライブに行ったんだ。3,4年前だったかな。そうしたら、ほとんどの人が僕をツアーガイドだと思って、いろいろトラブルになったんだ。

(※1:オランダの植民地時代に、現地語とその他ヨーロッパの言語が混ざってできたアフリカーンス語を話す人たち。オランダ系白人が多い)

ヨハネスブルグのような都心になると、アパルトヘイトは終わったし、様々な人種の人がすぐ隣同士で暮らしている。そうすると、嫌でもコミュニケーションをとらないといけない。ただ、少し田舎に行くと、今でも偏見があったり、差別的な扱いを受けたりすることはあるよ。アパルトヘイト下では、黒人と白人が一緒にはなしたら、刑務所行きだったからね。ヨーロッパ人専用、アジア人専用、黒人専用。あらゆるものが分断されていた。今みたいに、黒人とアジア人が、一緒に話すことはできなかった。

制度としての分断は終わったとしても、まだ人々の心の中には、差別や偏見が残っているんだ。法律で罰せられるから、あからさまな差別を受けることは、確かに少なくなったけどね。

同じテーブルで、いろんな人種が混じって会話することはしょっちゅうある。ただ、感情的になると、心の奥底にある差別的な感情が見えるときがある。たとえば、黒人に対して「サル」と言ったりね。白人の雇用主が、黒人の従業員に対して、怒ってバナナを渡すとか(黒人=サルという意味の嫌がらせ)。

心の分断が解消されるには時間がかかる。これがアパルトヘイトが残したものだ。もし自分が差別的な行動にあったら、もちろん声をあげるよ。ここはソウェト(※2)。抵抗の地だ。おかしいと思ったことにだまってはいない。

(※2:アパルトヘイト時代の黒人専用居住区(=タウンシップと呼ばれる)のひとつ。黒人解放運動が起こった地でもあり、ネルソン・マンデラとその妻ウィニーが長年住んだ家がある。ヨハネスブルグ内にあるが、郊外に位置し、アパルトヘイト当時、中心部から分断するために、人工的に丘が作られた)

アパルトヘイトが終わった当時、海外から多くのメディアがここに来た。それから、ネルソン・マンデラの家などが観光地になったから、観光客も来るようになった。ただ、ここには宿泊業がないから、ほとんどの人がヨハネスブルグの中心地からバスで来て、観光スポットを見て回るだけ。ここに住む人とは全く交流することなく、まるでサファリのようだったよ。

タウンシップ(※3)に対しては、まだまだ偏見が多く残っている。でも今のようにコミュニティが分断されて、交流がないままでは何も変わらない。そう思って、観光客をバスから降ろして、地元の人と交流してもらおうと思ったんだ。最初は自分の家でサッカーをやったりパーティーを開催したりしていたんだけど、そこからゲストハウスを運営することにしたんだ。もっとソウェトの人を知ってもらうために。

(※3:アパルトヘイト時代の黒人専用居住地。ソウェトも含まれる)

悲しいことに、ソウェトから(もともと白人が住んでいた)ヨハネスブルグ市内に人が移動する動きはあっても、逆(白人が元タウンシップであるソウェトに移住すること)はほとんどない。もっと国内外の人がここにきて、ここに住む人と交流してほしいと思ってる。ソウェトの人間として、この場所を誇りに思っているんだ。ここに来た人が、何年か後にまた遊びに来てくれたりすると本当に嬉しいね。

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ばんゆかこ

ばんゆかこ

フリーライターチャリツモ
他人事から自分事へ。チャリツモは、クリエイターが社会問題をわかりやすく伝えるメディアです。自分たちのアクションで、より良い社会が作れると信じて、クリエイターや社会問題の当事者が、日々情報発信しています。メディアの他にも、多世代で社会問題を語り合う場を増やすために「社会問題見えるカルタ」を制作し販売しています。また、受託でのクリエィティブワークも取り組んでいます。