大手銀行を辞めてエチオピアで起業!一般的な家庭に生まれた僕がアフリカに辿り着いたワケ!

みなさん初めまして、エチオピアで乳製品加工事業の立ち上げに向け、目下奮闘中の竹重と申します。今回から5回に渡ってAfrica Questさんに連載をさせていただくことになりました。文章は、あまり得意ではありませんが、この機会にエチオピアのこと、また、僕の現在取り組んでいる事業について皆さんに知っていただければいいなと考えています。

早速ですが、連載第一回の今回は、僕の生い立ちとエチオピアにたどり着いた経緯について少しお話をさせていただこうと思います。

ワーホリが1つのターニングポイントになった!

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改めまして、竹重 宇薫(たけしげ いえのぶ)と申します。

なかなか、難しい漢字でいえのぶ、なんて戦国武将のような名前が付いているので、実家お寺なのとか、由緒正しき家柄かなんて聞かれたりもしますが、そうではなく。。

1986年4月長野の山奥でごくごく一般的な家庭に生まれました。中学までは競泳、その後、高校ではハンドボールとマイナー系のスポーツに打ち込んできた僕ですが、やはり、メジャーなスポーツでは、競争も激しいことを知っていて、積極的にマイナースポーツを趣向していましたね。

学生時代のテーマとしては、いかに楽して最大限の効果を得るか!

これに尽きました!

大学進学とともに、故郷の長野県を離れ、横浜に。っと言っても、これまた、マイナーな横浜市立大学という大学に。中田横浜市政の時代に行われた横浜市立大学の改革により、学部再編などゴタゴタしていたこともあり、例年対比倍率も低かろうと高を括って、楽して入りました。

実際に、最初にアフリカ大陸を最初に意識したのも、大学時代にどっぷりとモラトリアムを満喫している時でした。

漠然とどうしたら楽して生きていけるのかみたいなことを考えて、日本人として生きて行くにあたりどうしたら、周囲の優秀な日本人との競合を避けることができるかみたいな着想があったわけです。

今思うとかなり不純な動機ですね。

大学時代に、1つ大きなターニングポイントがありました。

実は、楽して入った横浜市立大学ですが、学部再編の余波により、2年から3年進級要件にTOEIC600点というのがありました。

盲点でしたね。楽して入った大学で苦手な英語に追い込まれるとは。。。

当時、たまたま身近な先輩がワーキングホリデーの話をしていて、おっ!!これしかないと、机に向かって勉強するのが嫌いだった僕は一路オーストラリアでのワーキングホリデーに飛びます。。

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ワーキングホリデー時代の愉快な仲間たち

これも、僕の判断基準としては、机に向かって嫌いな勉強するぐらいだったら大学休学してオーストラリアで出稼ぎでもしてたほうが楽にTOEICの点数が上がるかなって安易な理由でした。

結果的に、このワーキングホリデーで僕はそれまで感じていた、アフリカへの興味を世界に触れることで感じることができたわけです。ついでに、無事TOEICの点数も伸びて進級することができました。笑

ずっと楽して行きてく、これが大学までの僕の大テーマだったのでしょう。

銀行に入行!インドネシアへの海外駐在を経験!

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インドネシア駐在時の同僚たちと

そんなこんなで、若干のピンチもありながら、大学卒業とともに大手銀行に入りました。大学時代までのキャラクター的に大手銀行への就職というのは、周囲の友人たちからしても結構意外な選択だったようです。

当時の僕は特に何をしたいというのもなく、強いていうならせっかくだから海外で働けたらいいなって思いがあったくらいでしょうか。

銀行へ入ったのも、この海外で働くチャンスが楽して得られそうだったこと。当時、私の働いていた銀行は海外展開に積極的でリクルーターの商社とかより、早めに海外駐在のチャンスあると思うよとの話を完全に間に受けて結果銀行に入りました。

生半可な思いで、入った銀行でしたが、これが予想に反して、日本国内の中小企業の社長さんや役員の方々との接点というのは、自分の視野を広げる上でもすごく楽しくて、ついでに会計、財務などに対する知識も得ることができて結果的にすごくラッキーでした。

そんな僕に海外駐在のチャンスがやってきたのは、3年目も終わりに差し掛かる頃。社内の公募制度でアフリカ駐在の募集がかかっているのを発見しました!

銀行内には、同期、先輩、後輩含め優秀な方々がたくさんいたので、何かしら専門性を身につける必要性を感じていました。

アフリカには、大学時代から結構興味を抱いていましたし、当時、僕の勤務していた銀行には、アフリカ駐在の日本人がいなかったこともあり、これはチャンスだと思い早速公募に応募。

結果的に、アフリカではありませんでしたが、インドネシアに駐在することができました。

今思うと、これもなかなかラッキーで、当時のインドネシアはというと、日本からの投資がものすごく盛んで、新興国の勢いを肌で感じるのとともに、異業種の同世代の友人たちとの接点を持つことができ、視野がとても広がりました。

仕事を通じてみる世界は、学生時代のそれとはまた異なり、世界に広がる多くのチャンスを実感することができました。

インドネシア駐在時には、銀行の関連会社で日本企業のインドネシア進出を支援するコンサル会社に出向していました。ここで、多くの日本からインドネシアに進出する企業さまとの接点を持つことができ、また、ビジネスの立ち上げについて色々なケースを見ることになりました。

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