最貧国であるブルンジに生まれる意味や生きる意味を、ネガティブに考えてしまいます。
貧しさから抜け出すことができないまま、希望や幸福で満たされることもなく、一生を終える人がとても多いことに、虚しさや苦しさを感じていました。
もしかしたら、「物質的に恵まれない人たちは心が満たされている」というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
これは、「毎日おなかいっぱい食べることができて、健康で過ごせるなら」という条件がつかない限り、成り立たないと私は思います。
そして、ブルンジでは、この条件が成り立つ人は、多くはないです。
例え、お金がなくとも、毎日家族と笑顔で食卓を囲むことができるなら、それは幸せな人生で、それだけで生きてる意味があると思います。
でも、ブルンジ人の多くから、そういった幸福が感じられないから、虚しいのです。
最貧国、ブルンジの現状
写真:地方のマーケットにて。視界いっぱいに映る人々が貧困から抜け出せる日は来るのだろうか。
飢餓指数は、統計が取れた最後の年である2014年は世界最下位(IFPRI 2014)[1]。
世界幸福指数も毎年とても低く、2016年発表では世界最下位でした(World Happiness Report 2016)[2]。
夫の地元などで、同じ時代に生きてるとは信じられないほど、貧しい生活を送っている人を目の当たりにします。
農民がほとんどですが、急激に人口が増加した現在では、耕作面積があまりに小さく、1人あたり耕地面積はサブサハラアフリカ平均の半分であり(World Bank Data 2016)[3]、家族を養うことができません。
気候変動も大きな脅威となっています。かといって仕事もありません。
日頃から様々な感染症を患っており、あっけなく亡くなります。
小学校を卒業できるのは子供全体の63%(World Bank Data 2018)[4]。
幸運にも中高等教育を受けられたとしても、そうそう仕事はありません。
収入があっても、数百円~数千円/月であることが多いです。
生まれる意味、生きる意味を考えながら
これでどうやって生きればいいのでしょう。
希望もないまま、特に男性は酒で絶望を紛らわします。
夫の地元で出会う男性は、酒臭い人も多いです。
子供を作ることで自尊心を保つのでしょうか、貧困な人は多産な傾向にあります。
家族計画、つまり、子供の数を減らしましょうという啓蒙活動や実践的な取り組みは盛んに行われ、簡単な避妊手術を受ける女性も増えています。
出生率が低下したら、この国は全人口を養うことができるのでしょうか。
わかりません。
それまでは、ただ貧困の底をさまようしかないのでしょうか。
そんな中で、私の夫のおじさん(母の妹の夫)が、B型肝炎で亡くなりました。
42歳でした。彼は、貧しく、酒に浸っていました。
妻は若くして亡くなったので、残された1人娘(夫の従妹)は夫家族に引き取られて育ち、今は私たちの家に住みながら高校に通っています。
娘を養うこともできずに、酒だけ飲んで、といったかんじで、私の彼に対する印象は悪いままでした。
そんな彼が亡くなったという知らせは、あまりに儚く感じました。
「それだけの人生で良かったの?」と思ってしまうのです。
私たちも地元での埋葬に参列しました。
参列者は200人ほど。アフリカ人は、生まれる前から死んだ後まで、たくさんの人に囲まれ続けるようです。
病院の遺体安置室から棺へ納めるところから、墓地へ向かう道中、穴を掘って棺を納め、土を被せるまで、ずっと女性たちが美しく歌い続けました。
真っ青な空、緑、そして赤い土の美しさと相まって、なんと美しいこと。
最期だけでも、これだけ美しく天まで送ってもらえるなら、それでいいのかもしれないなんてふと感じました。
そして、娘である従妹は、パパ、パパと泣き叫んでいました。
傍から見れば、素晴らしいお父さんとは決して言えない人だったけれども、娘のことは最期までずっと愛し続けていて、娘にもそれがしっかり伝わっていた。
世界の果て、最貧国の、貧しい村の、貧しい家族の儚さと、彼らが築いてきた愛という、今まで私の中でつながらなかった2つが合わさったのを目の当たりにして、とても悲しくて虚しくて、私もしばらく涙が止まりませんでした。
今でも、ブルンジ人の生に対する虚しさは消えず、儚い人生を歩むしかないんだという絶望も抱いています。
一方で、埋葬に参列した後は、せめて最期だけは美しく送ってもらえたら、愛を与え、与えられたと実感できたら、せめてもの救いだと感じるようになりました。