アフリカ布の輸入を手掛ける株式会社AFURIKA DOGS(アフリカドッグス)は、西アフリカ・トーゴ共和国の村の子どもたちが描いた絵を図案化し、京都の染色工房「アート・ユニ」と連携してアフリカンプリントを開発しました。
高度経済成長期の京都でアフリカ向けプリント生地が生産されていた歴史を踏まえつつ、当時の大量生産していく機械捺染ではなく、手捺染によって必要量を受注生産します。
デザイン料を現地の村へ支払う仕組みを構築することで、これまでとは違う関係性を育んでいきます。2023年7月25日(火)にアフリカドッグスのオンラインストアで3種類のデザインを販売開始し、売上の10%がトーゴ共和国の村の発展事業に循環します。
アフリカンプリントとトーゴの関わり!
アフリカンプリントのルーツとなったのはインドネシア・ジャワ島の伝統工芸、ろうけつ染めの布「ジャワ更紗」と言われています。
東インド会社などが交易をとおして、ろうけつ染めの技術がアフリカ地域やヨーロッパ地域へと伝わりました。産業革命期のイギリスやオランダでは、ろうけつ染めの技術を活かした機械捺染が開発され、そこで生産されたものがアフリカンプリント(ワックスプリント)の始まりとなりました。
現代では、老舗企業のVLISCO(フリスコ)社のものが最高級プリントとされ、中国製の模倣されたプリントが流通しているものでは大部分を占めています。
トーゴ共和国のアフリカンプリントを扱う女性商人は西アフリカ地域で初めての億万長者となり、トーゴ経済の礎を築きました。(彼女たちは通称「ナナ・ベンツ」と呼ばれました。「ナナ」は現地の言葉で「母」の意、ベンツは彼女たちが乗っていた「メルセデス・ベンツ」のこと。)
京都、あるいは日本との関わり
高度経済成長期の京都経済を下支えした業界の一つは、染織業界でした。高級ラインの京友禅や西陣織といったジャンルと、大量に生産することで廉価に取引が可能となった機械捺染のジャンルに二極化しました。
後者の機械捺染は、明治維新期に西洋から技術を導入し、大正時代に黄金期を迎えていたことで、昭和には国際競争力のある産業として確立されていたといいます。
京都や大阪、和歌山などで機械捺染されたアフリカ向けプリント生地は、神戸港から伊藤忠や丸紅といった大阪の商社をとおして輸出されていました。
日本メーカーの開発した「グリーン・ワックス」プリントは、アフリカ市場でも歓迎されました。
トーゴと京都を繋ぎ、新たな価値を創造するアフリカンドッグス!
AFURIKA DOGSは、(アフリカドッグス)は、2018年10月に設立されました。
アフリカ布や手描き友禅の輸出入や、ワークショップや研修の企画運営、トーゴ視察のディレクション、アフリカと日本とのビジネスマッチング、トーゴでのマイクロファイナンス事業を展開しています。
アフリカ・トーゴの伝統布である「ケンテ」や独自に発展してきた「バティック」、カジュアルに自分だけのファッションを楽しむ「オートクチュールの仕立屋」の文化。
人類学や開発経済学だけではない現代アフリカ文化の可能性がトーゴ共和国にありました。トーゴ共和国に日本初の法人を設立し、地元である京都文化との掛け合わせのなかで、新たな価値を生み出そうとしています。
「京風アフリカンプリント」が生まれた背景!
アフリカンプリント市場において、既存のオランダ製や中国製のものは、しばしば「文化の盗用」を指摘されてきました。本来、アフリカ地域の人びとが得るはずだった利益を搾取しているのではないかという見方です。
アフリカドッグスの直営店に顧客からも「アフリカ地域の人びとが関わっているものを」という声が多く寄せられていました。
また、トーゴ共和国アニエ村の村長・ジョージ氏から金融支援の相談があり、持続可能な形での取り組みを模索していました。
そこで、トーゴの村の人びとの絵を図案化し、京都でアフリカンプリントを生産して販売することで、現地へはデザイン料を支払いつつ、京都の職人たちの仕事にも繋げ、オランダ製の高品質プリントを超えるクオリティのものをめざしました。
2022年8月にトーゴ共和国へ渡航、現地の子どもたちに動物や植物をモチーフとした40ほどの絵を描いてもらいました。
帰国後、アフリカンプリントを扱うブランド/作家たちへのアンケートと、来店者の投票で図案化する候補を絞り、「京風アフリカンプリント」に採用する3種類を厳選しました。
開発にあたっては、京都の染色加工ならではの「侘び寂び」のある色合わせではなく、アフリカンプリントらしい、はっきりと輪郭のある色をベースに組み合わせました。
販売サイト▶https://africanprint.stores.jp/
- 記事提供元:アフリカと京都をつなぐ布 京都の職人が染める異国のデザイン「京風アフリカンプリント」7月25日発売|PR TIMES