テレビ東京の「世界ナゼそこに?日本人」の知られざる裏側〜ブルキナファソ在住者が語る真実〜

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ブルキナファソの統一教会の礼拝の様子

「20年間ここに住んでいるけれど、統一教会の礼拝に行きたいと言ってきた日本人はShion(僕)さんが初めてですよ。」

突然の電話を掛けた僕に、鈴木さんはそう笑った。

鈴木さんはブルキナファソに20年以上前から住んでいる統一教会の信者だ。鈴木さんは地元埼玉の高校卒業後、街頭で「人生について勉強しませんか?」と勧誘活動を受け、1982年に入信、入信10年後の1992年に韓国で開催され桜田淳子が参加して有名になった6万人合同結婚式でブルキナファソ人の男性と結婚した。

勝手にアフリカ人が結婚相手としてマッチングされたのかと思いきや、「アフリカに行きたい」というのは鈴木さんの希望だったらしい。1994年にブルキナファソに移住。4人の子宝に恵まれたが、不幸なことに5年前に夫を亡くし、それから育ち盛りの子供を女手一つで育ててきた。

「これから楽しいことがたくさん待ってるはずなのに、なんで私たちを残して逝ってしまったんだろう・・・。そう思いました。」

テレビ東京のインタビューに鈴木さんはこう答えていた。

統一教会に入信。言葉も通じない初対面のアフリカ人と合同結婚式で結婚させられ、アフリカの僻地へ移住。その夫に先立たれ、四人の子供を一人で育てなければいけない。こんな彼女の身の上は、ある視点から見たら「統一教会の被害者」として統一教会を批判する最適な話になるだろう。

実際、嫁不足の韓国の田舎で統一教会は「日本女性と結婚できますよ」という誘い文句で勧誘活動を行っていたようで、嫁ぎ先は貧困な農村部在住者が多く、困窮生活を強いられ、2012年には韓国に嫁入りした日本人女性信者が生活苦とDVに苦しみ、アルコール依存症の夫を殺害するという痛ましい事件も起こってしまった。

けれど、少なくともブルキナファソでは、そんな「被害者」的な描き方はあまり正確ではない。統一教会で嫁いだ日本人女性たちは皆、自分の生き方を後悔することなく、ブルキナファソ社会のフルメンバーとして自信をもって生きている。

鈴木さんは夫を亡くしてからは四人の子供を一人で育てなければいけないため、生活は多忙。仕事は掛け持ちでこなさなければいけない。夫の弟が学長を務める大学の秘書の仕事や家庭教師のアルバイトを掛け持ちしている。

―統一教会はブルキナファソではいつから活動してるんですか?

「1973年だったか75年だったか忘れたけれど、伊藤さんっていう日本人の宣教師が初めてブルキナファソに来たの。だから私が嫁いでくる20年前ね。伊藤さんはハンバーガー屋をしたりして生計を立てながら宣教活動をやっていたの。ハンバーガー屋さんは昔のアメリカ大使館前でやってたからすごく繁盛していたみたい」

―へえ、その伊藤さんという方は何歳くらいの時に来たんですか?一人で来たんですか?

「確か22歳か23歳の頃にここに来たの。しかも合同結婚式で結婚した奥さんを日本に置いてね。」

40年前のアフリカの奥地のブルキナファソにたった一人の日本人が来て、統一教会の宣教をしていたらしい・・・その後、その「伊藤さん」の下でブルキナファソの統一教会は地道に活動を続け、全世界で70万人が同時に結婚した95年の合同結婚式にもブルキナファソか105組が「祝福」。同年には教祖の文鮮明がブルキナファソに来訪し、ブレーズ・コンパオレ大統領と会談するまでになった。

教会の壁に掛けられた1994年の文鮮明とコンパオレ大統領の面会の写真
教会の壁に掛けられた1994年の文鮮明とコンパオレ大統領の面会の写真

「伊藤さんは他を犠牲にしても教会の発展を優先しようという考えでね、やっぱり自分の家族とか周りよりも教会を優先させると言うのは、アフリカみたいに貧しい所では難しいよね。家族も多いし、大学を出ても仕事がなかったりするから。」

―鈴木さんが来るより20年くらい前から活動してたんですよね・・・

「でも、私が来た20年前も大使館もなかったし、大変だったわよ。ブルキナに大使館はないからコートジボワールから日本大使館の人が来て、手書きのパスポートをもらったりしてた。でもね、大使館の人からは『一般の在留邦人を勧誘したりしないでください!』と言われてね(笑)。ほら、日本から離れてこんなところに一人で住んで精神的に不安定になる人も多いのに、宗教の勧誘なんかされてヘンになったら困るからって。」

「精神的にヘンになったら困るから勧誘するな」・・・。確かに、大使館としては「邦人保護」の観点から必要なアドバイスかもしれない。しかも90年代だから統一教会が「カルト」として流行っていた時期だ。

―まあ、大変ですよね。こんなところにずっと住むっていうのも・・・

「ブルキナの教会は大変よ。本当は私たちがブルキナファソと日本の架け橋みたいになって、行ったり来たりできればよかったんだけど、私たちがブルキナファソに埋没しちゃったから。育児とか子育てとか仕事とか、自分たちの家族の生活のことで精いっぱいでね。それが最近になってやっと落ち着いたところ。」

統一教会に入らなければ味わうことのなかった苦労なのに、それを「当たり前のこと」として受け入れている姿勢に純粋に驚いた。

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