今や、アフリカは多くの若者や起業家が事業を立ち上げようと注目している。このアフリカクエストのサイトも実に活気にあふれている。時代は猛スピードでネット、SNSと移りゆきITが基盤となり発展している。元々アフリカのオーナーは植民地時代を経てフランスを中心としたヨーロッパ人という印象だった。しかし、もはや中国人が勢力を増し、大きな時代の幕開けがはじまったと感じている。
47年前、アフリカに渡った1人の日本人女性
私の知人で今年70歳を迎えた徳永瑞子氏は、47年前にザイール共和国(現コンゴ民主共和国)に渡った人物の1人だ。
47年前のアフリカの情勢を考えると、診療所がまともに機能していなかったことは安易に想像できる。そんな中、まだ日本人にとって未知の世界であったアフリカに助産師として仕事をするために行ったなんて、なんて破天荒でクレイジー!と思う反面、アフリカ国際支援の先駆者として心から尊敬する。
現代は、飛行機にはテレビ、世界中どこにいても無料wifiで日本とつながる快適な社会。47年前はどんな時代?手紙1枚をアフリカへ届けるまでに、どれだけの国を経由する?飛行機は何回乗り換え?コンゴってザイールって国だったの?恥ずかしながらそんな事ぐらいしか疑問が浮かばない。
次世代に繋ぐ「本物」の活動!
今、世間を騒がせているボクシングの山根氏や体操の塚原夫婦は70代になっても「ゲーラカイト」のように目をギラギラし、新しい風が吹くことを阻止し、自分達の役職、地位を守ろうと必死だ。徳永さんは、自ら世代交代を決断し次世代へつなげている。
普段は、あんこが好きな素朴なおばあちゃん。しかし、これまでの行動は本当に素晴らしいものだ。84年に出版した初めての著書「プサマカシ」は読売女性ヒューマン・ドキュメンタリ大賞を受賞。翌年91年には、女優の山口智子が主演でドラマ化。その後もたて続けに8冊の本を出版。
今年、設立25周年を迎えたNGO「アフリカ友の会 AMI D’AFRIQUE」の代表を務めており、2005年フローレンスナイチンゲール賞、06年医療功労賞を受賞。これほど世界から讃えられているにも関わらず、まったくもって目が「ゲーラカイト」ではない。私は、心の中で彼女を「本物」と呼んでいる。
苦悩と苦労を超えて、行動し続けることの尊さ!
私は過去についてあまり振り返らない。それよりも未来のことを話すほうがワクワクし刺激的だ。今の生活がよりいっそう近代化し、テクノロジーで利便性の高いものにあふれ、豊かになることを考えることは楽しい。しかし、47年前、日本よりもはるかに物資不足のアフリカに渡り、働き、現代までアフリカを支えた人物の話が聞けなくなることは失礼だがそう遠くないと感じる。
アフリカで起業するということは一筋縄ではいかないのは、2018年の現代でさえ、多くの人が経験していると思う。それを思うと、徳永氏がここまでくるのに、たくさんの苦悩と苦労があったことは想像にたやすい。それでも、続けた。人となりから、行動することの尊さを教えてもらえた気がする。
アフリカでビジネスを立ち上げる夢を持つ若者達に伝えたい。アフリカがここまで発展することができた理由は、徳永氏のような人物が地道に働き続けたから。私たちが生きているのは、ご先祖様がいるように、アフリカで働く日本人のご先祖様のような人だと思う。そして、あの遠く離れた大陸は、猛スピードで発展し続けている。
変わりゆく時代の変化を追うように急成長を続けるアフリカ。そのアフリカに47年前に渡り、看護師・助産師として働いた徳永氏が出会った人々とのこと描いた詩がある。♯国際協力、♯国際医療、♯看護師、♯助産師、♯HIV感染、♯エイズ、♯国際保健、♯アフリカ ♯中央アフリカ共和国、に関係し活動している人、これから活動しようとする人には是非、このnoteを読んでほしい。きっと心の奥底に響くだろう。
noteにて活動記録を公開中!
徳永氏が中央アフリカで出会ったエイズ患者や栄養失調の子供達に捧げるオマージュで、精魂込めて書いている。私が好きなのは「100円のコーヒー」という詩だ。恵まれた日本ではわからない、アフリカでの100円の価値。平和になってほしい、戦争が無くなってほしい、それでも現実には難しいことがたくさんある。
アフリカに携わる人としての苦悩や希望、葛藤が詰め込まれている。どんなに頑張っても救えない命や現地の人との向き合う姿が想像出来る。アフリカで活動したことがある人なら必ず共感できることがあるはず。
- アフリカ友の会
- アフリカ希望診療所物語|avecafrique|(note:500円)
- エイズに関する詩|avecafrique 20話(note:500円)
収益は全て、アフリカ友の会の活動資金となります。
※本記事は小島毬奈様よりご寄稿いただきました。