中部アフリカ有数の廃墟、Cicibaに行ってきました。
Cicibaとは「Centre International des Civilisations Bantu」の略で、日本語にすると「バンツー国際文明センター」とでもなりましょうか。1983年に今のガボンの大統領のお父さんのオマル・ボンゴ大統領が約1500万ユーロ(ざっと20億円)をかけて作った建物です。
4月号のJeune Afrique誌にバンツー民族の特集がやっていたのを読んでからずっと気になっていた建物でした。
Les Bantous sans tabou(Jeune Afrique)
今は完全な廃墟ですが、そもそも何をする建物だったのかというと、Jeune Afriqueによると、中部アフリカから南のアフリカ人のだいたいは「バンツー」という民族にカテゴライズされるそうなのですが、そのバンツー民族の文化や言語を研究して後世に残す学術施設としての目的で建設がはじめられた建物でした。
バントゥー系民族(Bantu peoples)は、アフリカ言語の大カテゴリであるバントゥー語群に属する多様な言語を使用しつつ1つの大きな言語集団を成す多くの民族の総称である。この語は、現在のカメルーンから中央アフリカと東アフリカを横切り南アフリカまでのブラックアフリカに分布する、400以上の民族(140 – 600以上の言語)に対する一般的分類として用いられている。バントゥ系民族に属する民族はバントゥー語群に属する言語を利用しているほか、先祖伝来の文化にも共通性が見られる。また、バントゥー系民族には1つの語群ながらインド・ヨーロッパ語族全体に相当する多様性がある。
バントゥー系民族(Wikipediaより)
今から4000年前に今のナイジェリアやカメルーンのあたりから東はケニア南は南アフリカまで大移動をした民族だそうで、ヨーロッパの「ゲルマン民族の大移動」とかと雰囲気は同じですね。
Jeune Afriqueによると、このバンツー民族と言う概念は植民地時代にドイツ人の学者が言いだしたものだそうで、南アフリカではアパルトヘイト時に黒人を隔離する居住区バンツースタンの名称に使われたり、東アフリカではルワンダで「フツ族がバンツー系の民族で、ツチ族はナイル系の民族」というふうに、内戦を補強する理屈にも使われました。
フランス語圏の中部アフリカではどういうわけか「バンツー」という概念が「我々はみな同胞だ」とアイデンティティを強める材料として人気があるようで、モブツ政権下のザイール(現コンゴ民主共和国)やガボンではよく使われ、1983年にCicibaが作られるまでになったようです。
当時の大統領の鳴り物入りで建設が開始されたCicibaですが、建設開始5年後の1988年に資金不足で工事中断の後、放置。その後、家を持てない貧困層が勝手に住み始め、コンクリート製の巨大な「貧民窟」になってしまいました。
Cicibaの住民に聞きました。
「ここに勝手に人が住んでるのは政府も知ってる。だから電線を通してくれたんだ。見えるだろ?テレビのアンテナが。電気はあるからアンテナを引けばテレビが見れるんだ。」
国有地に勝手に住みだしてるので、立ち退きを迫ると思いきや、法的根拠のない住民に電気を通してくれるなんて優しい政府ですね。まあホームレスになられても困るのでしょう・・・
「不法占拠の貧民窟」・・・ということで、入るときはとても緊張したのですが、意外とみんな親切で、明るくて、朗らかでした。
中には教会や屋台もあり、教会はちょうどお祈りがおわったところということでみんなで仲良く昼食をしている現場に遭いました。また、屋台の主人とその従業員は内戦にあえぐ中央アフリカ出身だそうで、「内戦が始まった後に従業員を連れて来た」そうです。
(右奥の水色の小屋が中央アフリカ人のおじさんが経営する屋台)
「内戦に遭い、隣国に逃れ、廃墟の中で生活をしている」のにもかかわらず、とても陽気で優しい店主でした。
ちなみに空から見ると、この様な感じです。
Photo credit: carlosoliveirareis via VisualHunt / CC BY-NC-SA
Cover Photo by : guillaume adam (@gumoad)